2009.01.24

ファシリテーション授業での、学生さんたちの感想

ファシリテーションについて、専門学校での授業。


「一方通行のコミュニケーション」「聴くこと、話すこと」などをテーマにした実習を行い、一部の学生さんにファシリテーター役も経験してもらいました。

以下は、「気づいたこと、学んだこと」「次に活かしたいこと」「感想」などの一部です。
学生さんたちからは了解をいただいています。

*****

相手の気持ちを汲み取って確認するように聞き返すと、仮に誤解があっても相手をあまり嫌な気持ちにさせずにコミュニケーションを修復することができる。
円滑なコミュニケーションを行なうためには、話し手と聞き手がお互いに努力しあわなければならない。
自分の解釈や決めつけで相手の言葉の真意を判断するのではなく、相手の心の奥にある感情を読み取れるよう努力したい。


一方的なコミュニケーションによって起こる弊害などは常に日頃ありうることなので、コニュニケーションの方法を見直すという意味で非常に勉強になった。話し手も聞き手も、お互いのことを考えながらコミュニケーションをとっていくことが必要になるのだ思った。


発信者の思う気持ちは、受信者の受け取り方や感じ方で変わってしまうということ。受信者が想像して相手の事を理解してしまう事があるということ。
 相手が伝えたいことと自分が摘み取った話の内容がお互いに合っているかを確認することで間違いが少なくなると思いました。


同じ事を聞いて、絵を描くだけなのに、それぞれ、出来上がった絵が違った事が面白かったです。受け取る側によって、変わるということはとても興味深いことだと思いました。


今回ファシリテーターをやってみて、ファシリテーターに限らず話し合いに参加しているメンバーであるときも、他の人のプロセスを汲み取り、話し合いの方向付けを行うことの難しさと重要性を再認識した。
 今回は、話を広げていけるような材料があったにもかかわらずそれを生かせなかった。あせりもあったと思う。次回は、もう少し落ち着いて話し合いに臨みたい。


聞き手の思い込みなど、コミュニケーションには発信者・受信者とその間におけるさまざまな段階で、ミスコミュニケーションが起きる可能性がある。
発信者・受信者ともにミスコミュニケーションが起きないよう気をつける必要があるが、一方でミスコミュニケーションは起こるものだという認識も必要である。
伝わるだろうという気持ちではなく、伝わらないこともあると言う認識で伝える努力が必要。
「伝わっているよ~」の確認の意味も含めて、確認をすること。
少しでも理解できていないと感じたら、恥ずかしがらすに確認すること。(自分は、コミュニケーションで聞くことを遠慮する傾向があるので)"


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2008.11.13

まちづくりとゆるやかな関係作り

まちづくりファシリテーターが実施する大学生対象のファシリテーター養成講座でのこと。

私はプログラムのひとつを依頼されていたのだが、早く到着したので、前の活動の様子を見学していた。

それは若栃でのファシリテーター養成講座のスターティングプログラム。
ゆるやかな関係作りとしてペンキ塗りをしていた。

顔見知りではない人もいる、そんな状況から、ゆるやかな関係を作る。その体験だ。
たしかに、共同作業をするというのは、一種の連帯感が生まれる。


だけど、その様子を見て、私ったら、別の時間にこれを私にやらせてくれれば、ひとつの課題達成プログラムとして、その中から人間関係を学ぶ、ペンキ塗りワークショップができたのになぁと、ひとりごちていた。

実際の作業中何が起こっていたかというと・・・
一部の人だけがペンキをぬっていて、そのほかの人は、下準備のさび落としだけ・・・
本当は自分もペンキ塗りをやりたいと思っていたり、はしごを使っている姿に危ないと思いながら手を貸さなかったり。
手袋がほしいなぁとおもっていたり。
すれ違うときに、ぶつかって、あやうくペンキが服につきそうになったり。

いろんなことが個人の内側に、誰かと誰かの間に、グループの中で起こっている。

たしかに人間関係を学ぶための材料にはなるけど、この場で求められていたのは「ゆるやかな関係作り」という体験とその効果を実感すること。
そして、その経験を、そういう場を作っていくということに活かす事。


まちづくりにおいては、わざわざ、アイスブレークと称して、ゲームをしたり、自己紹介をしたりというのも、もちろんありだけど、必然として起こってくる共同作業を、うまく活用しながら、ゆるやかに関係を作っていくっていうことは、現実的なアプローチだなぁと私も学んだのであった。

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2008.11.10

ファシリテーション演習 授業を受けての生徒さんの感想

ファシリテーション演習授業「コンテントとプロセス」「フィードバック」の感想。


"作業をこなすことばかり考えていると、他人のノンバーバルの部分に気づけない
人のことを見ているようで、実は見ていない
無意識の行動に、ヒントが隠されている
プロセスを話しながら会話すると、話すほうも聞くほうも気持ちが楽になる"

自分の考えや思ったことが頭の中でまとまってから出ないと、発言できない自分がいることに気がついた。

"お互いの理解を深めるためにもフィードバックが大切。
自分では分からない自分を知らせてもらうおう。
効果的なフィードバックのためには
 相手がとった行動に対して記述的に、
 自分自身が思ったことを伝える、
 必要性が感じられる、
 行動の変容が可能、
 適切なタイミングで、
 多くの人からのフィードバック

話しているときの言葉以外にも、しぐさや態度の中にも隠れているものがあり、隠れているものがしぐさや態度に出ている場合がある。"

"・話すことが無いなら、話すことが無い事をネタに話し出すことが出来ればいいのかもしれないが、やっぱり同じ人と長くしベルっているのはなかなか難しい。
・人によっては、話に詰まりそうになったら、もしくはなる前に、話題を盛り上げるための「補足材的な言葉」を絶妙なタイミングで繰り出す人もいる。それを感じたときはすごく感心するのだが、それはその人の特殊能力みたいなものなのか、トレーニングしだいで技術として定着できるものなのかよくわからない"

"・一方通行で話し続けるよりも、双方向でやり取りがあったほうが話しやすい。
・Non-verbalなアウトプットを見つける練習をした際に、それぞれの表情をよく見て、なるべくコミュニケーションをとるように心がけたが、普段言語を介したコミュニケーションをしているときにも重要なことだと実感できた。
・プロセスを拾っていく作業を前回から何度かやっているが、自分は表面的なことしか終えておらず、他のメンバーが考えていることをまったくつかめていないことが分かってきた。それに気づくことが出来たのは大きな収穫で、これからは「自分は何も分かっていない。良く観察して他のメンバーの考えを拾おう。」と言うスタンスで授業に取り組みたい。"

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2008.10.31

ファシリテーション演習・学生さんたちの感想

学生さんたちに、先日のふりかえりの内容をブログにあげてよいか、確認したところOKがでたので、あっぷします。

先日の内容はこちら

思い込みを排除し、事実をしっかりとらえる訓練をする

他のメンバーをよく観察する

ちょっとした活動でも、とても気付くことがたくさんある。

たった5分程度の話し合いの中でも、ふりかえりを行ってみると、各個人のさまざまな内なる考えがあったので、おもしろかった。

自分が以前、経験したことから持っている自分自身の仮説や他人が持っている仮説があると気付いたこと、そして、その仮説をある経験が行われたときに、「あの人(もしくは自分)は、こうだからこうだ」というような目で見ることは良いことではなく、ファシリテーターはフラットな目で見ることが大事だと気付いたこと

なんにでも、面倒くさがらず、積極的に取り組んでみる   

短い時間の中にもいろんなことがおきているんだなと知りました。同じ空間にいる人たちの中でも、それぞれ内側で思っていることが違っていたり同じだったり、話してみないと分からないことがあっておもしろいなと思いました

接する人との間にどんなことが起きているのか考えることができる

今までの授業と違った形だったので、とても興味がわきました。それとともに難しそうだなと感じました

思いの他しゃべるようになっているらしい。この学校の中では。

新入社員研修で、この類のことを一日二日やったくらいで、どれほどの効果があるのか、あまりぴんと来ない。同じグループで、間を空けながら、複数回やれば、団結力の向上なりありそうだが、ぱっとやってぱっと効果を得られるものなのだろうか

まず、ほんの短い間の話し合いの中で、それぞれがいろいろな考えや想いを持っていることに単純に驚きがあった。

そして、それが話し合いの進行役の意図や考え方と必ずしも合致していないことも身に沁みてわかった。

また、自分がAさんとBさんに対して、まさしく「経験→仮説化」という流れで、固着化された考えを持ってしまっていたことに気付かされた。

一年半の付き合いはあるが、まだまだこれからお互いの関係を変えていける可能性があると感じたし、こうした構図を理解していることで、発言の少ない人のことを慮ったり、お互いが自身の殻を破っていくきっかけを作ることができると感じた。まず、自分が「経験→仮説化」という循環から脱却すること。

その上で、話し合いのプロセスをもっとじっくり見て、広い視野から話し合いを進めていけるようになりたいと思いました。とりあえずは、今までより落ち着いたスタンスで行きたいと思います。

あの話し合いのプロセスを、理論と符合させて問題点を抽出する兼重さんはさすがだと思いました。

ファシリテーションはどんな場面でも生きてくる能力だと思うので、積極的に学びとっていきたいと思います。

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2008.10.29

ファシリテーション演習

某専門学校の【ファシリテーション演習】を担当して2年目。
2年次後期、3年次前期。
先日、2年次後期の初回で、私とは初めての顔合わせ。


ここの学生さんは、高校卒業後すぐに入学する人、社会人経験を経て入学する人さまざまで、18歳から30代まで幅広い年齢層。
去年もそうだったけど、私が担当させてもらってる学生さんを見る限り、自由で、仲が良くて、お互いにかかわりあえる人が多いと感じている。

それは、これまでの学生生活を経て培ったのか?こういうところへ学びにくる人に共通な資質なのか?

社会人経験を経て、しっかりした目的意識を持って入学してくるひとは、学ぶ姿勢が気持ちいい。講師をしている側に刺激になる。
また、特別目的意識がなくても、自分の好きなことができる、そして自分の好きなことに意識が向く環境であり、同世代だけではない人間関係から学ぶことは多いのだろう・・・とこれは勝手に推測。

このメンバーとは初めての授業なので、私の自己紹介を簡単に・・・・といっても、学生さんに共通するようなことから、本業の話、なぜ黒姫に住んでいるか・・など。
普段はあまり丁寧な自己紹介はしないのだけど、今日は比較的話したほうかな?


さて、メンバーはすでに見知った仲間同士ではあるけれど、私のために自己紹介をお願いする。名前・ニックネーム・まだみんなが知らない私の秘密・いまのきもち


みんなと初めて会う私が、一番本当は、ドキドキしていたと思う。
メンバーも若干緊張気味の人もいたけど、仲間の秘密を聞いて、自分の秘密もうっかり話してしまって、なごやかな雰囲気。
私もとってもリラックス。

シラバスを配り、授業の進め方、協力してほしいことなどを話す。

学生さんたちは、人前にたって、環境教育や、冒険教育などをリードしていく勉強をしている。
場を和ませたり、参加者同士が知り合うための、考え方やアクティビティを別の授業を通じ、知っていることと、実践練習のため、授業の最初の10分から20分を使って、毎回アイスブレイクを誰かが担当してもらうことにしている。
そのための、順番きめをしてもらった。

約5分くらいだっただろうか。

去年は、じゃんけんであっけなく決まったのだけど、今回は、話し合いで決まった。
「じゃんけんで決めよう」という提案があり「自分はこうしたい」という意思表示あり、目に見えない小さなかけひきあり。

今日は「体験学習と循環サイクル」「ファシリテーターとは」
といったところを、体験学習を通じて学ぶのがテーマ。

これは使えるなと思い、急遽そのまま、ふりかえりに入った。

模造紙をひとり一枚使い、時系列にグループ内でのやりとりと、そのときに、自分の内側で起こっていたことを書き出す。

模造紙を壁に張り出し、ほかの人の書いているのを見て思い出したら書き足す。
全員のを見終わったら、ひとりづつ、お互いに聞いてみたいことをたずねあった。

一通り、質問や確認が終わったら、輪になって、どんな気づきや学びがあったのか、あるいは感想を話してもらう。

そういえば、その感想をこのブログに書いてもいいかどうか、確認しなかったので、今はここに記載するのはやめておく。

その後、「体験学習と循環サイクル」と「ファシリテーターとは」の講義。
ふりかえりとは、循環サイクルのどの部分で何をするのか?
前にも説明だけは聞いていたようだが、体験を通じてからの講義は腑に落ちた様子。

まだ、言葉にならないけどなにかあるなぁと言っていた人も。
だけど、その言葉にならないなにかを「あるよ」と言葉にだせるあなたは、きっとこのあと何かをつかむんだろうなぁと余韻を残して、この活動は終了。

残りの時間を通じて、活動をリードしていく上で、わからないこと、疑問、課題などについて、ざっくばらんに話してもらった。そんななかから、目的意識を持って、次回から参画してくれるといいなぁ。

私もやっていて、楽しい授業でした。

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2008.10.22

紅葉の中、企業研修

昨年からかかわらせていただいている農業法人さんの全体ミーティングで時間を持たせていただいた。普段は一部の方だけの接触だったので、私としても、この機会はとても嬉しかった。

せっかく、関わるのなら、先方のことをもっと知りたいという思いがあったし、ときどき見かける外部のひとという位置ではなく、社員さんとも、もっとお話できるといいなぁと思っていた。


朝の農場見学からご一緒させていただく。
農場スタッフの説明、それを聞いているスタッフの好奇心、誰に指示されたわけでないのに、私に説明してくれる態度などに、この仕事への愛情が感じられる。

午後の私の担当時間は、スタッフ間の【交流】【情報交換】がねらい。
規模が大きくなってくると、昔とは違うことがおきてくる。そんななかでの、試み。


自分の担当部署と違う人たちとチームになり、普段話さないようなことを話してもらう。

最初は相手の意外な一面を見て笑顔と驚きに。
次は、照れくささもあるような場面。
そして最後は、普段きけなかったこと、知らなかったことを、お互いに聞きあったり、こんな風にしてもらえたらいいんだけど・・・と情報交換。
この場面では、みんな真剣な顔に。


いつも見ている顔でも、知らなかった一面を見て嬉しくなった。身近になった。
相手が自分をそんな風に見てくれていたのかと知って、嬉しかった。
知らなかった相手の仕事内容がわかって協力してやっていけそう。
そんな感想が。

そして、私に、いい時間でしたと、こういう時間を持ててよかったですと感想をわざわざ伝えてくれるかたも。

感想をシェアするときも私をねぎらってくれるようなそんなニュアンスが伝わってきていた。

今日も、随所にみられたが、普段から社長や役員のかたたちが、こまめに感想を伝えたり、ねぎらいをかかさないから、スタッフも知らずにそういう振る舞いをされるのだろう。


普段からお互い知っているけど、もう一歩踏み込んで話し合える関係作り。
そんな場作りは、チームのベース作り。

こういう企業との関わりをもっと進めていきたいと思った。

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2008.07.14

先生・・それはないよ・・・(涙)

小学生のチームチャレンジ。

この学校は何度か、こういう活動には来ているはずなのに、一部の先生を除いて、先生方には、この活動の大切なところが伝わってないみたいだった。

担当の先生は、黙ってみていられない。
インストラクターの私がいても、励ましたり、叱ったり、ああしろ、こうしろと指導したり。

「すみません。口チャックでお願いします。」

しばらくは黙って見ていてくれたものの、別の活動になったら、先生たちが盛り上がってしまう。

課題はビーチボールをバレーボールのようにして落とさずに何回続けられるかというもの。
目標を立てさせたら、32回と。
16人なのでひとり2回タッチの計算だ。
時間はどうする?32回を何分以内に達成する?

時間を区切らないと、こういう楽しいものは、落としても全然かんけいなくだらだらと続けてしまいがちなので、時間の目標設定もさせる。

10分と決定し、開始。

しばらくは黙っていた先生だが、なかなか続かないのを見かねてか、声をあげはじめる。

先生「声だして数えよー!1、2、さーん」
先生「そのちょうし~♪」

たしかに、盛り上がってきて、より楽しい雰囲気にはなってきた。
まぁ、この程度ならアリかな・・と思いつつ・・

数を数えなくては達成しない課題をやってるんだから、そこに気がつくのは子供たちだし、自然に声が出てこないというのは、普段から先生たちがそうやって「あおって」いるから、なんとなくやっていて、身についていない・・・・のでは?なんて考えてしまった。

時間がきた。
いったん集まって、作戦会議。
どうやったらうまくいく?
こども「サーブみたいにきついのはなげずに上に投げる」いいねぇ。
ほかには?
ほかには?
「声をだす」っていうのはでてこなかったね。

再度10分、区切って挑戦。すると・・・

「それはやっちゃだめって決めたでしょー!」と先生の指導。
そんなこと言わなくても、関係の出来ている子供同士の間ではお互いに注意しあっている。

周りの先生が妙に大騒ぎ。

でも、結局、本人たちが決めた目標時間内に目標達成できず。
「どうする~?もうおしまいにする?」
こどもたち「やりたい」
こどもたち「汚れるからもうやだ」(地面がぬれていたので)

あいだを取って、草地を選び移動し、最後の10分にチャレンジ。

結局達成せず。先生たちがっかり。子供たちよりも(^^;


上級生と下級生の一部に大きな溝を感じていたのと、なかなか達成感を感じられるような活動ができていなかったので、チームを縦割りで、3年から6年生が含まれるように2チームになるように、みんなで決めてもらう。競争心をあおるような場にして、真剣にさせようというもくろみ。それに人数が少なくなれば、声もだしやすい。

2チームで、同じ課題を実施。

日本が15分後に大地震に襲われるという設定。そのため、15分以内に、現在地の日本から指定された安全な地点へチームで協力して移動する。
その際に、使えるのは魔法のじゅうたん5枚。各チームメンバーは8名だが、じゅうたん5枚に乗って、安全地帯へ移動する。
じゅうたんから体の一部が離れたら、じゅうたんは没収。だれかがじゅうたんから落ちたら、日本へ全員が逆戻りというゲーム。

Aチームは最初は何度も失敗して、じゅうたんを没収されたり、じゅうたんから落ちたりしていたけれど、6年生がうまくひっぱって、声をかけながら、粘り強く進行していく。

Bチームには先ほどの先生がつきっきりで、アドバイス。
「先生、ちょっと黙っててください」と言ったけど、声は届かなかったのか、無視されたのか。
「ひとつも達成できないじゃないの」と吐き捨てるような声が後ろから聞こえる。

そのうち、Aチームが先行していくにつれ、先生はBチームに対し、「じゅうたん没収されたら、誰かが落ちて、最初からやり直せばいいのよ」とむちゃくちゃなアドバイス。

すごくショックだった。
先生、人生はそんなに簡単にリセットできるもんじゃないでしょう?
課題が達成できたらそれでいいの?達成感ってそんなに大事?続けるのかやめるのかも、自分たちで決めたんですよ?

結局、Bチームは、没収されたら、先生に「早く早く時間がないよ」とせかされて、急いでやりなおしというのを繰り返す。「また失敗した!」
「ほらー!ちゃんと持ってなきゃダメでしょ!!」と先生の指導。
先生のゲキに緊張して、余計うまくいかない。

しかも何も学ばずにやり直すだけだから、同じところで失敗する。考えられない。
お互いに声もかけられない。

結局時間切れ。先生はがっかり。
もう少し時間を延長させて、成功体験を持たせてあげればいいのに。
私に対して、そんな視線や雰囲気を受け取った。


Aチームは時間に余裕をもってゴール。ゴール寸前ではお互いに励ましあいながら大盛り上がり。そして大喜び。

ふりかえりでは、Aチームはお互いの健闘をたたえあい、サポートしてくれたことをふりかえる。Bチームは「どうせ、こんなのゲームでしょ。できなくたってどうでもいいよ」

ゲームはリセットできるけど、人生はリセットできない。
ゲームだって真剣に出来ないなら、人生で大切なときに真剣にできるの?

でも・・達成できなかったのは、あなたたちのせいだけじゃない・・・ね。

コーディネーターに、報告するも、「ちゃんと担当の先生には話してあり、他の先生方にも伝えるようにお願いしてあるのに、それができないのは学校の問題だ」
って、それで本当にいいの?

今回見ていた先生方とふりかえる時間も無かった。少なくとも、あの先生はこの活動を理解していない。

私たちファシリテーターとコーディネーターとの間のチームチャレンジというか、人間関係も、もう少し見直す必要があるのでは?と思ったりもするのであった。

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もっと時間がほしいなぁ

私学の小学校3年生から6年生までの16名の女子。

3時間のチームチャレンジ。
協力して楽しい課題に取り組みながら、人間関係形成にやくだてるもの。
この学校では上級生が下級生の面倒を見る・・・ということを狙っているのかもしれないけど、実際には下級生のほうが元気が良くて、上級生がおされぎみだったのが、おもしろい(^^)
どこの班も似たような雰囲気だった様子。採用担当者の好みが変わったのかしら?

最近の子供たちは「みんなと同じ」を好んで、というか「人と違う」を恐れて?不正解を恐れて?発言しなかったり、発言力のある子に右へ倣えだったりする傾向があるのだけど、この子たちには、そういうのはあまり無くて、かなりのメンバーがそれぞれ自分の言葉で発言をする。優秀な子達なんだなぁ・・・・

さて、ある課題において。
早く結果をだそうとするあまり、大人から見ると「ズル」と思うような単純なやりかたを選び、しかも失敗して結果をだせない。
「ねぇ、そのやりかたでいいの?おもしろいの?」
と問いかけても、これでいいのだという。でもうまくいかない。
人のせいにし始める・・・・そんなことないよ!と釈明し始める・・・

でもいいなぁ、子供らしくてと思う。
というのも、最近こういうのをあまり、見ないきがするのだ。
お前が悪いと思っても、口に出せず、内側でいらいらしている。こそこそっと陰口を言う。お互いに。そしてどんどんやる気を失っていく・・・
ふりかえりでも、そのあたりはなかったことにして、不満を口にしないケースが多いような・・・



他の課題において・・・・
「6年生なんだから」と大人から言われているのか、「6年生の言うことをきかせなくてはいけない」になっていて、下級生がいろんなアイデアをだして、試していても「勝手にやらないで!」になる。
結果、話しているのは上級生だけ。
下級生はだまって、つまらなそうにしている。



ふりかえりで。
上級生A「一部の人だけが考えていた。他の人ももっと意見をだしたほうがいい」

私「それって、具体的にどんなとき?誰がそんな風にみえたか言える?」

他の人と同じじゃないと安心できない・・・という最近の子供たち度は低いように見えても、さすがに、それは言えないらしい。

仕方ないか。
でも、どんな場面でそう思ったのかなぁ?

「そういう風に見えたときがあったんだね・・・・」
「ほかのひとはどう?そう思う?」

「・・・」

「外から見ていたら、(下級生)Bちゃんは○○したら?とか(下級生)Cちゃんは体の大きい6年生と3年生とが組んだらいい・・・とか、いろいろアイデアだしてたよねぇ?
それって、気がついてた?」

「・・・・・・・・」



こういうことは大人の場面でもよくあることだよね。

もうちょっと、こういうきっかけを使って、いいファシリテーションができたら良かったんだけど。
もうちょっと待ってたら、他の人の見方もでてきたかなぁ?

こういう子供たちだったら、もう少し時間があったら、もっといい場がつくれるんじゃないかなぁと、知的好奇心。

いずれにせよ、もっともっと丁寧に、他の人と違う意見やかんじを言える場作りをする必要があるんだなと実感。

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2008.07.13

わかとちってパワフル!

2度目の若栃でした。
小千谷市にあります。ここは中越地震で被災しました。


初回にお会いした地元の未来会議の人たち。
大学生とともに、会議とそのあとの宴会に乱入し、お話をうかがいました。

Dsc00741

今回は、夜、8月30日におこなわれる、花火大会のうちあわせにお邪魔しました。
会議をしているのは未来会議のメンバーで50代後半から60代のおじさまたち。
びっくりするのは、ノートパソコンで議事録を取っている農家のおじさん。すすんでる!
私の知っている経営者会議では、議事録も板書もやってないところがあったのに!
(これも別の意味でびっくりでしたが)

わかとちの世帯数は40数戸なのに、この花火大会200発以上の花火が打ち上げられます。
なんでそんなに集まるのか?ここに、和栃パワーと魅力も隠れてますね。
そのなかにはスターマインだって、もちろんあります。

わかとちのみなさんはとってもパワフル!
今回はみなさんで「天神囃子」というのを歌ってくださいました。

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もう迫力!!とっても素敵でした。

文化に誇りと愛着を持ち、継承していく姿。いいなぁ~


翌日は、女性たちが料理の先生を呼んで、料理教室を開いていました。
にしんとぜんまいの煮物や、夕顔とジャガイモの具沢山味噌汁。夏野菜のてんぷら。
てづくりゴマ豆腐。えごの寒天よせ?(えごは海草)。漬物と果物。
私達は研修のあと、「食べるだけ」参加しました(^^)

普通料理教室といったら、女性達が作って食べておしまいというイメージですが、ここでは旦那衆も参加し、ビールもだして、和やかな会となっていました。

前回お会いした、女性達にも再会し、お話もはずみます。


地方の小さな集落のひとたちだけど、とっても気持ちが開かれていて、居心地のいい場所でした。よそ者を見る目がウェルカムなんですよね。
私の住む集落でも最初の頃は、人々の目に浮かぶのは不安とか疑いとか、そんなかんじがありました。野沢温泉でも、ウェルカムというよりは、ちょっと迷惑・・みたいなニュアンスを感じるくらいです。
もちろん、そういう目が、地域に安全をもたらしているのかもしれないけど・・・・

わかとちの人のありかたは、中山間地のコミュニティに、なにかヒントをあたえてくれるような気がします。


ただ、この人たちは、観光客には目をむけていないようです。
この集落の人たちと積極的に交流しようとするひとと、ともだちとして、仲間として、交流したいようだと感じました。
観光客向けに、整えられた完璧な花火大会じゃないかもしれません。
でも、ここのひとたちと交流していると、身内感覚と言うか、一緒につくっているようなそんな気分になれそうです。

とてもあたたかで、またお邪魔したい空間でした。ふるさとのようなそんなかんじです。

課題は、外から来た人たちが、どうやってお金をおとせる仕組みをつくるか・・・なのかな?
だって、花火大会に再訪して、お手伝いの交流はできそうだけど、それだけじゃ、どうなんだろうなって。
外から遊びに来る人間だって、大好きな地域にお金をおとしていきたいと思うはず。

みんなで楽しい事をして、外の人たちと交流しながら、ちょっとはうるおっていく。
人口も増えていく・・・
そんなことが大事なのではと。


わかとちの皆さんは口をそろえて、「人がいいのよね」と言っていました。
みんな、わかとちが大好きなんです。


また、わかとちにお邪魔します♪

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2008.07.12

わかとち&大学生

今日は朝からなんちゃって菜園の草刈を少々し、ネギにつちを盛り、シャワーを浴びて、これから移動。小千谷です。

東京から大学生が小千谷に学びにくるって、面白いでしょ?
若栃って地区が、おもしろいのです。

前回、私は1日コミュニケーションWSを提供。
今回は、学生たちと一緒に参加者としてファシリテーショングラフィックを学び、明日は、小さなWSを提供する予定。なにがいいかな?

ここは、中越地震で被害のあった土地。
力をあわせて復興しています。地震をバネに。
そして大学生も頑張っています。

さて、何がおこるかな(^^)

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2008.07.08

南山大学で学ぶ

以前から学んでいるファシリテーションですが、いつもと違う環境で、しらない人たちの中で学んでみたいなぁと思っていました。
ひさしぶりに参加者として、南山大学の公開講座に参加。
キャンセル待ちでようやく参加できました。

津村先生は、見た目も雰囲気も言葉も、あったかい、やわらかな、魅力的なお人柄を感じました。
募集人数は36名。実際は当日キャンセルもあり34名でした。

5階にある会場は、広く、前と後ろに大きなガラスの窓があり、外が良く見える場所でした。
そこはじゅうたん敷きで、靴を脱いで参加します。
気持ちのいい場所です。

今日は自分の気持ちに素直に自由に・・・というのがテーマで参加。

「みんなと知り合いましょう」
という言葉に
「ああ、めんどうだな・・・」と思う自分を感じたり
「ああ、そういえば、以前参加者がWSは何回か参加したけど、自分のことを話したり、自己紹介したりが、エネルギーが必要で、ちょっとうんざりする・・・」
なんて言っていたのを思い出し、こんな気持ちなんだなぁと、共感。

とはいえ、あまりエネルギーを使わずに、自然体で参加できる場だったのか、あるいは、私の力が抜けていたからか、徐々に、エンジンがかかってくるのもかんじたのでした。


参加者は、教員の方が多いせいなのか、あるいはこういうところに参加する人はエネルギーが高いのか、自発的に発言するひとも最初から結構あったし、模造紙をとってきたり、壁に貼ったり、机を移動させたり、グループを作ったり・・というところに、率先して我先に争うように(?)行動しているひとが、目立つ感じがして、ちょっとびっくり。




以前は、よく「不自由さ」を感じていました。
「こうすべきだ」「こうしなければならない」というように。
手放しているつもりでも、自分の言動をふりかえると、ああ、不自由してるなと。

でも、私自身はこの日は自分の自由なかんじを確認できました。
それは、他の参加者の不自由さを感じる事で、認識する事もありましたし、自分自身の内側の変化もありました。


そんな自分であったのに、最後のワークの後「一歩ひいてみている感じで、(役割)を(しなくちゃ)と思ってやっている感じがする。それで楽しいのか?」
というフィードバックを受けました。
ちょっとびっくり。
「私のどういうところから、そんな印象をもったの?私が楽しくなさそうだったってどのへんでおもったの?」「ほかのひとはどう見ていたの?」
と確認したかったのだけど、ちょうど、進行具合の確認が入り、時間が無かったので、そのあたりを明らかにする事が出来なくて残念。

そのかたは、とても一生懸命で、コンテント(ここでは課題)に入り込んでいて、問題解決のためにフル回転されていました。
とても熱心で、初めての参加ではなかったみたいだったけど。
彼女は、私の職業も聞いていたので、なにか先入観があったのだろうか・・・


そんなことを思いながら、一日の最後に数人でふりかえりをしていたら、
他のかたが「自分の認識と、相手の認識がずれていることはよくあることだ」ということ「自分の先入観が、事実を曲げて感じ取ってしまう」ということにきづいた・・・
いうようなふりかえりを聞いて、まさに、それだよな・・・・
そういうことがおこっていたのだろう・・・と思った。

少なくとも、私はワークに「参加」していたし、「楽しんで」いた。
ワークの最後には課題解決にのめりこんで、ほかのひとが見えなくなる場面もあったし。

やはりファシリテーターは、その「認識の違い」をその場であきらかにしていくことが大事だということを再認識。

今回の講座は基礎編なので、そのあたりを丁寧にやっていく時間がなかったから、ちょっと残念ですが、私個人は満足。

南山の先生方、スタッフのみなさん、ありがとうございました。

人間関係・ファシリテーション

上記のような人間関係を学びたい方、ファシリテーションを学びたい方、長野市内で下記日程で体験学習方式での学びの場を予定しています。

9月27日(土)、10月18日(土)11月29日(土)いずれも10時ー17時30分

参加費は1万円。定員は最小人数4名 最大で8から10名を予定しています。

お問い合わせください。 coach-kaneshige@nifty.com

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2008.07.01

ファシリテーション講座実施しました

いやー・・長い道のりでした。

やろうやろうと思いながら公開講座は重い足取り。
声をかけていただいて出かけていくことに慣れてしまったせいか、自分で公開講座を開くのはなんだか、億劫になっていました。

去年の秋から専門学校でファシリテーションの授業を持たせていただいたこともあり、公開講座をやりたいなぁとは思ってはいたのですが・・・・

なんと、今回は飲み会の席から始まった話です。
以前コーチングの公開講座に参加してくださったHさんのお誘いで、Hさんのお仲間の勉強会のあとの飲み会に合流したときの話です。

「兼重さん、ファシリテーション、学びたいです」
「えっ?そう?じゃ、いつにする?」

なんていうノリから。

強力な助っ人Hさんに助けられて、本日無事実施。

会場は、長野市内の個人のお宅の一室。

ここは、Hさんのご自宅で、人の集まれるサロンとして使いたいので、どうぞと申し出てくれたのを大喜びで使わせていただいた。
Hさんのお声がけで7名の方にお集まりいただきました。

会議室とは違った空間で、気持ちはのびのび♪
本当にありがたいことです。
参加のみなさんとHさんのおかげでファシリテーションの場をスタートさせることができました♪

次回決定しているのは9月27日(土)10月18日(土)11月1日(日)とだいぶ先ですが、
ご関心のある方は連絡くださいませ。
最低催行人数?は4名最大で10名ですが、Hさんのサロンで実施の場合は8人くらいまでかな。
10時ー17時30分 参加費1万円
会場は長野市内ですが、このなかの一日くらいは、黒姫になるかもしれません(^^)

2ヶ月も間があるので、その間にも、せっかくだから何か企画したいものです。

今回のテーマは「ラボラトリー方式による体験学習と循環過程・コンテントとプロセス」
というファシリテーターに必要なエッセンスを体験しながらご紹介しました。

ご参加お待ちしています~。

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2008.06.30

先生という仕事

自分の仕事を世の中の分類にあてはめようと思うと、ちょっと微妙。

でも、ある意味「教育系」であるという自覚はある。

とはいえ「先生」とよばれるのは抵抗がある。
しかしながらWS形式ではあるけど、確かに「伝えて」いるものはある。

今まで、単発での体験学習形式では、多くの人や多くの子供たちと関わってきた。
公開講座を過去にやっていたときは、何度も参加してくれる人たちもいたけれど・・・・

この感覚はなかったな。




この感覚とはなにか?

昨年の後期から、某アウトドア専門学校の非常勤講師として「ファシリテーション演習」というクラスを持っている。
2年次後期、3年次前期と同じ生徒さんを担当してきて、昨日が最後の授業だった。

なんでしょうね。
愛情というかなんというか。
そんなものを感じています。
1年・・・正確には20回程度、60時間くらいのかかわりだったのだけど、彼らの変化・・・それは「成長」というのかもしれないけど・・・
それを感じてほほえましく思っている自分がいます。

自分を知って、新しい行動をチャレンジしているさまだったり、
学んだことを身に着けて、最大限に活用しようとする意欲を感じたり、
仲間のしらなかった一面を知って、嬉しく思う仲間だったり、
自分の内面をみるのが苦手だったひとが、時間はかかったけど、少し筒ことばにすることができるようになったり。

そういう、変化に関わって、見守ることができるっていうのは嬉しいものなんだなと
新たな自分を発見した思いです。


この日は、彼らの実際の活動の場を見学させてもらったことで、気がついたことを、伝えた。
私が担当しているのとは違う(と思っている)部分におけること。

「これは私の個人的な考えとか思いなんだけど・・・・・」

そう話した私に、「ときどき」そういう話も聴きたいと言ってくれた生徒さん。

そうか。
これから社会に出て行くうえで、今学んでいることを活用している私の・・・
あるいは彼らの興味関心と似た活動もしている私の・・・
そんな生き方や考え方も、選択肢を広げる意味でも役に立つのかもしれないな・・・
関心があることなのかもしれないな・・・

私は、授業に関係ない話はほとんどしていなかった。
そういえば、学生のときに面白かったのは、先生の個人的な話を通じて感じるひととなりや、
自分の知らない世界の話だったような気がする。
高校の先生の凝り固まった「こうすべき」の話はおもしろくなかったし、お説教にしか聞こえなかったけど。


「先生」という仕事だからというよりも、ここでも、人とひととの関係。
「学びの場」という場を介して、伝える役割の人も、学ぶ人も、影響しあい、成長する関係なんだなあとあらためて。

秋からは初めて会う生徒さんたちとの授業が始まる。
私も、生徒さんから教えてもらったことを、実践していこう。

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2008.06.02

人間関係系ファシリテーション講座行います

6月28日(土)9時半~17時まで長野市内。参加費1万円。

有志4名のリクエストに応え、ファシリテーションのワークショップを行います。

今回はお試し的なお気軽な回にしようと思っています。

このままの人数であればメンバーの隠れ家ルームで実施。

増えたら、場所を借りようと思っています。

多くても10名までで、実施します。ご関心のある方は

下記にメールくださいませ。

coach-kaneshige@nifty.com

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2008.03.13

自分の内面におこっていることを明らかにする

学びの場で。

信頼関係のできていないなかで、
突然アドバイスをされる。

「こうするといいよ」

それまでの活動からは、なんの関係もない発言。
この場の学びには関連しているとも思えない発言。

最初は、あまりに唐突すぎて何を言ってるのかわけがわからなかった。

私「それってさ、直感で思って言ってるの?私のなにかを見て言ってるの?」

「いや、今だけじゃなく、ちょっと・・・見ていてね。」


アドバイスされたことは、私もやろうと思っていることだし、
内容自体は問題ない。

でも。

なにか、私の中で起こっている。

昔なら、わかっているだけに、「なんでアンタに言われなきゃいけないの?」と憤慨して感情的になっていたことだろう。

頭ではわかっている。
信頼関係のできていない中で伝えられるフィードバックは、役に立たない。
しかも、今回は、具体的なフィードバックもなく、いきなりのアドバイス。
大きなお世話なだけ。
受け取れる用意のないところに、いきなり石を投げ込まれた。

健康診断に行ったのに、なんの説明もなく、麻酔もなく、いきなり身体にメスを入れられた。
そんなインパクト。

相手は、そういうことがわかっていないのだ。
手順を無視して、踏み込まれた。 





アドバイスの内容もまとはずれではないし、それは手順を踏んで、関係のある中で与えられたものだったら、きっと、私にはいいお土産になっただろう。

・・・・頭の整理はついている。    相手が人間関係的に、未熟なのだ。






でも、どこかでなにかが影響されている。



その後、全員が発言する場で。
なぜか、その人のとなりに座るはめになり、自分の番になる。
いやな感じが高まる。

隣の彼女が、さっきと同じことを思いながら見ているようで。

思い切り影響されて、わけがわからなくなった。

こんなこと言いたかったんだっけ?





最後に彼女と挨拶。
彼女に、「隣で念じていた」と言われ、まっしろになった。表面上はつくろったけど・・・







情けないけどあとで、涙が出た。

涙の意味を考えてみた。

私は、自分の内面で起こったことを、きちんと相手に伝えずに、「つくろった」ことを情けないと思っているんだ。

自分のためにも。相手のためにも。

最後の挨拶のとき。
そうできるチャンスだったのに、私は自分をごまかし、その場をつくろった。

より良い関係を築くチャンスでもあったのに。

「相手が未熟なのだ」と自分に言い聞かせているのは、裏返せば「自分のほうが格が上なのだ」というような気持ちがあったからだと思う。

違う。

人は対等に関われる。

私がその場をつくろわず、自分の内面に起こっていることを伝え、きちんと相手と向かい合えたら、私自身もすっきりしたし、相手だって、気づくことがあったはず。

私は、そういう人でいたいのだ。
相手との関係の中で起こった感情をちゃんと扱いたいのに。
対等に本音でいたいのに。

それを怠った自分が情けない。



【次回への実践】

今度、相手との関係の中で自分の中になにかが起こったら。
あー、とか、うーとかいいながら、
「ちょっとまってね」
と内面に意識を向けてみよう。
「なにか内側で起こってる」「もやもやしてる」って口にしてみよう。

そこからスタートしてみよう。

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2008.01.14

自己イメージと他者からのフィードバックのギャップ

自己イメージと、他者イメージのギャップが、大きい経験をした。


承認のメッセージを伝える実習。自分でもよく参加者にやってもらうことなんだけど、久しぶりに自分が体験者。


「かわいい。」「やさしい」「素直」

そんな単語は私の自己イメージの中になかった!!なのにひとつじゃない、ふたつもみっつもそんなことばをもらう。

フィードバックを受けることがあっても、そんな言葉聞いたことがない。


なのに、そんな単語が目の前に現れて、びっくり。
それをシェアした。
「どちらかというと、眉間にしわとか、さっぱり、厳しい系の自己イメージなんだけど」
というと、相手は
「僕にはそんなあなたのイメージはないよ。よく聞く話だけど、眉間にしわなんて気がついたことないし」

ほんとか?

と驚きつつも、それらの単語もフィードバックも受け入れている自分。
これを受け入れられるのも、素直さがでてきた表れかもしれないと冷静な自分。




でも、

「昔は(元気)とか(エネルギー)とか、(行動的)とか、(積極的)とかそんなフィードバックが多かったし、自分のイメージもそんなだったんだけどなぁ・・・」

そういう言葉がないなぁ・・・


そんなことをかんじながら、ひとりひとりが、感想を述べる順番を待つ。


私のところまで5人。
関西人の漫才のようなノリと、のりつっこみでの感想表現。
すごいパワー。

ふと気がついた。


【基準】

先日もそんな話を書いたけど。またこれだ。


今ここでは、関西人パワー。
このエネルギッシュさの前に私は、ひるんでいるのだ。

この人たちのノリやエネルギーに比べたら、私の元気はかすむ。

いつのまにか、その基準のもとに、勝手に自分の行動を変え、思い込み、おとなしめの自分を演じていたのかも?

ほかの場所においても、サラリーマン時代に比べて、自分よりもエネルギーレベルの高い人が多い集団にいることが多い。

そのなかで、勝手に自分のポジションを決めて、そのレベルで関わっていたのだ。
私はあのひとたちみたいに元気でエネルギッシュではない。
このくらいのエネルギー。存在感。無意識に自分で決めていたんだ。

まさにCPSI理論だ。
(社会的相互作用の循環過程・・・グループにおける各メンバーの位置づけは個人の持つ自己イメージも含めて比較的早いうちに固定化する傾向があり、いったん固定化した社会的位置づけは循環過程によりますます、強化される傾向がある)


そんなことに、ふと気がついて。


自分の感想をいう場面で、やたらエネルギー高く話している自分がいる。
(隣の人たちと同じくらいのエネルギーじゃない?私やたらテンション高い!)
そんなのをどこか客観的にみている自分を感じながら、感想を話し終える。

「できるじゃん」
「私、こういうところ、あったじゃない。」「きもちいい」




彼らと同じテンション、やる気、盛り上がりをする必要はないし、競う必要もない。

だけど、私は私に、自由に振舞うことを「本当には」自分に許可していなかったんだなと気がつく。自分のポジションを無意識で自分で決めていたんだ。

そう思うと、思い当たる節はあちこちにある。
自分で自分のポジション(社会的位置づけ)の固定化を強化していたようだ。






「かわいい」も「素直」も「やさしい」も、成長し、変化してきた、確かに自分の一部。
抑えていた「元気」も「エネルギー」も、隠すことない私の一部。
評価し、ポジショニングする必要はない。
















でもさ、私も含めみんな、もうすこしボキャブラリー増やそうよ。ちょっと安直な承認ですよ(^^)

(注)もちろん単語ひとことじゃなくて、もう少し修飾されていたり、具体的なメッセージもあったこと。
ここに取り上げたのは、それらの一部であることを付け加えておきます(^^;

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2006.07.02

かわいい女2

「かわいい女」という表現は

誤解を生むので、少し解説しておく。

人間関係のファシリテーションでは、会話で、話されている内容、テーマとか、目に見えるものわかっていることなんかをコンテント(内容)という。

一方で、言葉では表されていないけれども、その人の中で起こっていること、たとえば話し合いをしていて、「これでいこう」と相手の雰囲気に飲まれて、あやふやな返事をしてしまったけれども、実は「本当はそっちじゃないほうがいいのに・・・」と思っていたとか、表にでていないもの。

感情やその人の考えの背景や、その人の中で起こっていることが無意識に出ているサインとか、そんなものをプロセスという。

一般的に私たちはコンテントで話しているけれども、自分のプロセスをだしながら、また相手のプロセスに気がついて、確認したりしながら、話をすすめていくと、お互いによりよく理解しあえる。

そういう意味で前述のかわいい女、かわいくない女だ。

かわいくない女は、相手のプロセスに対しコンテントで返す。かわいい女はプロセスで返す。

いつでもどこでも自分のプロセスを全部出せばいいのかというとそうではないけれども、必要に応じてプロセスも出せるようにしていると、自分も楽だし、人のプロセスを気にかけ、それを引き出せると話の流れが活気ある方向に変わることがある。

今までの教育も、仕事と呼ばれるものも、気持ちを扱うよりもコンテント、課題を重視してきているせいなのか、自分の気持ちが見えない人が多いように思う。

かくいう私自身もそう。

気持ちを聞かれても何が気持ちかわからなくて、理屈を言っていた。こうだからこうなのよ。みたいな。

車でスピードを出す人に対し、「危ないからスピード落とそうよ」とか、「そんなに急ぐ必要ないよ」というよりも、素直に「怖いからスピードを落としてほしい」と言ったほうが心に届く。

YouメッセージとIメッセージの違いとも言えそうだけど。

そういう意味でのかわいい女。

女も男もないのだけどね。でもいまさらながらかわいい女ってそういう人だったのかもしれないって思うことがあったので書いてみたのであった。

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2006.07.01

かわいい女

昔から、年上の人にはよくかわいがってもらえるのですが、
同世代には「かわいくない女」あるいは「理屈っぽい女」
だったらしいです。

えー、過去形なのは、進化しつつあるということで(^^;


こういうのに「女」っていうのをつけること自体、その「男」っていったいどうよ!
って思ったりもしますが。

じゃあ、どういうのがカワイイ女なのかを、考えてみたこともありませんでした。



最近、(いまごろか!)やっと。
もしかして、こういうこと?って。


たとえば、男の人にからかわれる。


かわいい女「もう~♪ヤダー(*^^*)。むかつくぅー」

かわいくない女「どうして、そういうこというのー!だって、○○で△じゃない~(ちょっと怒)」


かわいい女は感情を出してくる。
かわいくない女は理屈とか、相手の言葉に反応してそれを説明して返してくる。


そうなの??


っていうか、女だから?男は?



ちなみに私と相方?の場合。


相方=かわいい男「そんなこと言うなんて・・・ショック・・(涙)」

私=かわいくない女「あんただって、○○でしょー!!人のこと棚に挙げて、責めないでよ(怒)」
本当は言われてショックを受けて悲しいのに、怒りになっちゃったりして。

だから負けるんだよね・・・


そうか・・・



頭の中で男バージョンをシミレーションしてみた。
やっぱ男も女も関係ないね。




かわいげのある人になろう。

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2006.06.22

何を聴き、何を話すか

今回は不思議な体験だった。

なんどもファシリテーションやコーチングを学ぶ場に身をおいている。
学習の場では、生身の相手に触れ、ぐっと心も体も近くなるのに、
それ以外の場では、世間話や、お互いの暮らしぶりや仕事のこと
そんな会話に終始していた気がする。

こういってはなんだけど、表面的に見える話。
情報だけの交換。

それがね。
今回の合宿は、どの場面においても、深かった気がするの。

相手の人となりや、考え方、お互いに相手をどう見ているのか、どう感じているのか、
そんなことを話したり、聞いていたりした気がして、
すごく近く感じていた。
新しい発見があった。

お互いに好奇心を向け合い、また自己開示し、フィードバックし合っていた。

それが、とても自然におこなわれていた。

それって、ちょっと違うだろー・・・っていう場面も、よくよく話したり聴いたりしている
うちに、相手の思いがわかって、大きな気持ちで聴くことが出来た。

相手が自分をそんなふうに見ていたんだ・・・っていうことも、聴けて、納得したり、
その理由を話すことで、相手が私のことを理解してくれたり。


人数がいつもより少なかったこともある。

でもなぜなんだろう。なにがいつもと違ったんだろう。

こんな気持ちの良い場をもたらしたものは?

似ている人、逆の人、お互いに補い合って、思いあっていた。
フィードバックには愛があった。

参加者の資質によるものなのだろうか。

こんな関係を日常でも実現したい。

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2006.06.21

起こることは必然

人間関係のファシリテーションの合宿があった。

私は今回、参加者ではなく、事務スタッフ兼、オブザーバーという形で参加の予定であった。

目的は、外から場を見ることで、観察力と、場を感じ取る力、そして観察結果を
ファシリテーションの際に使えるような記録をとれるようにするための練習のため
でもあった。


しかしながら、定員以上の申し込みであったにもかかわらず、直前になって、キャンセルが
あいつぎ、参加者もやってほしいとのこと。

突然の立場の変更に、スタンスがわからなくなって、自分らしくその場にいられないのでは?
という不安が少し浮かんだ。

でもなんでだろう。
以前ならそれが最後までずっと影響してしまうものなのだけど、
今回はとても素直にそれが受け入れられて、自分を犠牲にするわけでもなく、見栄をはるでもなく、本当に自分らしくそこにいられた。

ファシリテーターである師匠のアドバイスもあり、じぶんのオブザーブの視点を
参加者であってもキープしつづけるというチャレンジがあったからというのも大きい。

学びの場では、自分を必要以上に大きく見せようとか、経験者というプライドみたいなものが
以前には前面にでてしまって、余計に自分らしくいられない現象が多々起こっていたけれど、
今は・・・

肩の力が抜けているかんじ。

これは今年になって顕著に感じている。

経験者なら経験者として持っているものは提供できる。
でも出来ていないことやわからないこと、情けない部分も、隠さずに出せる。

どんどん自分が自由になっていくのを感じている。

キャンセルが出て、立場が変わったのも、そんなことを確認したり、より深い学びの
ためだったのかもしれない。

私はもっと自由になれる気がしているし、その方法を学んでもいるんだな。

感謝。

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2006.04.20

経験している人と、そうでない人と。

以前、あるワークショップに参加したとき、
相手が慣れた風に見えたので、
「何度目の参加ですか?」と相手に尋ねたら、初めてだという。
そして相手からも同じ質問をされたので、答えて、
「そうですか。最初は戸惑うかもしれませんけど、勉強になりますよ」
というようなことを返したような気がする。

あとでその人いわく、「経験者」「そうでないひと」という見えない線が
あったらしいのだ。
私だけでなく、何人もがそういうかかわりをしていたらしい。
そしてそれが「そうでないひと」に劣等感を与えていたのだという。

こちらは無意識でも、相手には意識された見えない線。

言われて初めてその存在に気がついた。

もちろんそれは、人それぞれで、そうは感じない人もいるかもしれないけど。

自分では思いもよらないような、相手に与える影響って、あるんだなぁと
つくづく思う。

相手がどうおもうかに左右されて、自分に制限をかけてしまうのはとても不自由、
でも相手のそういう可能性を知っていると、自分がどう対処すればいいのか、
どう振舞えばいいのか、或いは、相手の気持ちを想像することができる。

人との接点を探ることができる。

人間関係は、新しい学びがいつもたくさんだ。


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2006.03.28

自分の価値感という物差しで相手を見ること

知人の家の犬が出産し、歩くようになると、親犬自身が自分の子犬を
どこかに連れて行って捨ててしまうのだという話を聞いて、
どうしてなんだろうね。
という話を近しい人にしたところ、「可哀想だ」「飼い主は避妊手術を
してやるべきだ」という。

私はその意味がよくわからなかったので、きょとんとしていたら、
「可哀想だとおもわないのか?」という。
「どういう意味で誰が可哀想なのかよくわからない」と答えたら
「可哀想はかわいそうという意味だ。」と言われ、
可哀想と思わないなんてへんだ、冷たい・・・くらいなニュアンスを感じた。

私はそういうことよりも、どうして親犬がそういう行動をとるのかに
興味があって、話をしたのだ。
あなたが「可哀想」って思ったのはわかったけど、
犬の行動の意味がわからないと私にとっては、可哀想と思うかどうかは
わからないと言ったら、「もう話したくない」という態度をとられたように
かんじた。

私にとっては、親犬に避妊手術をすることは、不自然なことだと思う。
子犬ができたら、飼い主は、その犬の貰い手を捜してあげているし、
子犬にも親犬にもその間ちゃんとえさをあげている。

なのに、一方的に飼い主を責める?


この話をした人は、近所の猫を可愛がっている。
その猫がねずみを取ってきて、その人にねずみを見せるのだそうだ。
最初のうちは、猫からねずみを奪い取って、ねずみを燃やしているという。
私にはなぜ、猫からねずみを奪うのかわからなかった。
相手は「嫌だから」という。
自分のかわいい猫ちゃんが、ねずみを取ってくるのが嫌なのだという。

最近はねずみを捕るのに夢中で、このところ毎日、その人のまえでねずみを
食べるのだという。

「毎回、ねずみを奪って、燃やしてるわけ?」と尋ねたら、
最近はきりがないので、諦めたという。

で、猫は、わざわざ目の前でそのねずみのあたまからバリバリ食べるのだと話す。

確かに、それは感情的には、私も嫌だなぁ。
でも、そういうのが嫌なら、もう猫を、てなづけるようなことは
やめればいいのにと思う。
可愛がってやるから、得意げに見せにくるのではないか?

その猫は、そこのうちの家の玄関(引き戸)をあけて入ってくるのだが、
冬の間、寒いから可哀想といって、家にあげている。
こたつのなか、ふとんのなか。

最近は、外では雪が解けているので、猫の足やおなかが
どろどろになっているのと、
ねずみを食べているのが気になるとかで、家にあげるときは
お湯と石鹸で、猫の口の周りと足回りをあらっている。

そのあと、ドライヤーで乾かしてやるでもなく、ねこが家の中で
自分で舐めて乾かすのにまかせている。


私には、猫の体を石鹸で洗うことに違和感がある。
猫には不自然な行為だ。
石鹸であらったりしたら、普通なら猫自身が、ぶるぶるっとしたら
水分が飛ぶように、或いは舐めたら汚れが落ちるように、
油分など毛についているのだろうに、
それが、落ちてしまうだろう。
そして猫は石鹸であらわれた自分の体を舐めることで、石鹸の成分を
少なからず舐めてしまう。

猫が病気になるんじゃないの?



「私には、この猫のほうがかわいそうに感じるけど」
と言ったら、「ダイジョウブだ」という。
何がダイジョウブなのかわからない。
ちゃんと話したいと思っているのに、「またその話?」と
はぐらかされる。

猫も、そうされることが嫌なら、この家にこなければいいわけで、
おとなしくされるがままにしているんだから、お互い様なんだろう。

だから、この件で、この人のことを責める気はないし、
私とは違う考えなんだなと思うだけだ。

でも。

私には、その人の、人間側の感情的な部分からしか、動物を見ていないこと、
そしてその価値感を私に押し付け、私の考えや価値感を
知ろうとしない相手との距離を感じた。

正しいとか、正しくないとか、そういうことではなくて、
自分の価値感で私を評価し、非難する。

そして、私の価値感については知ろうとしない。

寂しく思う。

私は、相手の価値感についても知りたいと思うし、私についても
知って欲しいと思う。

なのに、表面的なことだけで判断されて、私のことを「知ろう」と
してもらえないことが何度かあって、

この人とは、本当にはわかりあえないのかな

私のことには関心がないのかな

と悲しい気持ちが心のそこのほうにある。

そんな話をすると「理屈っぽい」と言われてまたおしまいか?

決定的に、理解し合えないということを思ってしまいそうで
またその話をするのが怖い。

最近はちょっとあきらめが自分の中にある気がする。






でも。

ここまで書いてきて、思うのは、相手の「可哀想」というキーワードだ。

そういえば、しばしば、相手から私に向かって非難を感じるのは
「可哀想」というキーワードが絡んでいる。

そのキーワードに絡む話は、つっこんだ話を逃げているようにも感じてきた。
本当にこのキーワードだけだったかは定かではないけど、
少なくとも今回だけじゃない。

この人の「可哀想」というキーワードには、なにか個人的な背景が
あるのではないか?


私こそが、相手の話したくない領域に鈍感だったのではないか?
「違う考えにも耳を傾けるべき」という自分の価値感にとらわれて
隠れている何かを見過ごしていたのではないか?

そう思ったら、もう少し、あきらめないで、
相手を知る努力をしてみようと思った。

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2006.03.19

やりづらいメンバー?

数年前、コーチ仲間の勉強会の企画と進行を担当したとき、
自分よりもキャリアの長い人や、「お手並み拝見」というような
スタンスが感じられる人たちの視線に、めちゃくちゃ影響された。

自分らしくいられずに、なにやら卑屈な自分だったように思う。
伝えたいことが伝わらないことに動揺し、相手の表情に
影響され、勝手に「非難されている」と思いこんでいたかもしれない。

そういう自分でいるから、余計な言訳を口にし、
ますます、その場がマイナスのスパイラルに
入っていき、どんどんやりづらくなったという経験がある。

そんなのは、自意識の強い、私だけだろうかと思っていたけれど、
およそ、そんなこととは縁がないだろうと思っていたAさんでも、
似たようなことって、あるんだ・・・・
とあとからAさんの告白で知って、親しみを持った。

Aさんは私のような勝手な思いこみはなかったかもしれないけど
「やりづらい」という気持ちに支配されていたかもしれない。

そのときに、参加者でいた自分を振り返ったとき、
どんなかんじがしていたかを振り返る。

多少、やりづらそうだなと思ったけど、気にならなかった。
ちゃんと伝わってきていたし、私はその場を楽しんでいた。

私のときと何が違うのか。

講師の準備と、経験が多い。
講師が自分の気持ちや、やりづらいかんじをちゃんと自己開示していた。
そうすることで、参加者が自然に協力をしていた。

そうか・・・・
だから、Aさんの内面で起こっていたことは、あまり影響がなかったのかな?

最近は、私もいろんなことが経験上わかってきたし、自己開示もできるように
なっている。
だからこそ、昔は苦手意識のあった、年上の男性対象の研修も、みなさんが
協力して、良い学びの場を作ってくれているんだな。

Aさんも人間関係のファシリテーションを学ぶ仲間だ。
Aさんも私もちゃんと学びを活かしているんだなぁ、とAさんの告白を通じて
思った。

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2006.03.03

120人を対象に75分間で仲間作りをひとりで

こんな打診が某所からありました。
4月、高校一年生の入学当初のイベントです。

240人を2チームに分けて120人を1チームとし
9時から10時15分までAチーム120人
10時45分から12時までBチーム120人
をひとりで担当するというものです。

目的は「仲間作り」
時間からして、仲間作りとは言っても
アイスブレーク、話をするきっかけづくりというところでしょう。

初日午後から野外屋内オリエンテーリング、
二日め 午前 が 今回の依頼
    午後 進路指導
三日目 思い出作り  という2泊3日だそうです。

考えなくても無理っていうものですが、
思うところがあって、私なりに精一杯考えました。

初日のイベントなら、まだ理解できます。
難しいながらもイメージできます。
私のキャラクターでは難しいかもしれないけど、
できる人もいるでしょう。

でも2日目のイベントであるということ。
仲間作りのきっかけづくりにしても120人。
そしてそのあとに控える、進路指導。
一体何するんだ?
そして思い出作り・・・
入学して最初のイベントに思い出作りって・・

なんのために、これをやるのかという
本質的なことを考えたときに、提示された条件で、
なにができるのか?私にはイメージ出来ませんでした。

手段ではなく、目的から何をどのようにするかを
デザインすることが望ましいでしょう。

私には依頼された条件で目的を達成できるものとは
考えられませんでした。力不足と言われたらそれまでですが、
私の知っている人でも、なかなかできる人はいないでしょう。

結局、お断りしました。

詳しい先方の事情はわかりません。情報も少ない中での
私個人の考えですが。

学校との間にたつ、コーディネーターの役割の
大切さを感じます。

おそらく学校側がプログラムの枠組みを決めた上での
相談だったのだろうと想像します。
それでも・・・

いくら「誰もひきうけてくれないと思いますよ」
と言ったとしても、なぜ、ひきうける人がいないと思うのか、
その理由をきちんと説明できることや、
事情はいろいろあるにしても、その目的の達成に近づける
なるべく良い方法を提案できる、コーディネイトすることが
大切だし、全体をどうプログラムするかも大切です。

私にはこの3日のプログラムさえ、疑問です。
そういうところにも意見できるコーディネーターが
必要なのではと考えます。

安易に引き受けることは、結局はだれのためにも
ならないように思います。

私自身も直接の依頼を受けたときに、よくお話を聴く必要があるなとあらためて思った次第です。

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2006.02.10

ファシリテーターとして学んだこと

京都にて、(有)コーチング・ラボ・ウエストの会長の研修アシスタントとして二日間参加。

多くの学びを得て帰って来た。

*いかに、参加者の課題といま扱っている研修を近づけ、参加者自身が「自分のこと」と結びつける場を設計するか。

*「いまここ」を大事にし、いま参加者が話したもの、体験を効果的に扱うこと。

*参加者や参加者の属性を知ろうとすること。

*体験や事例、説明を、具体的なイメージとして、相手に伝えていくこと。

*グループの力を信じ、その効果を最大限に高める工夫や場を設計すること。

*道具の力を知っておくこと。効果と限界、いつ使うかなど。

*時間をうまく使うこと。(まだわかっていない気もするけど)

*本質はなにか。なにを大事にするのか、自分のあり方の中に基準を明確にしておくこと。

*周辺知識を持っておくことの強さ。

*自分(ファシリテーター)のリソース(資源=これまでの経験、属性、そのほか)を最大限に活用すること。そしてそのために、普段から意識して情報収集や、アンテナを立てて行動することが出来ること)

*診断ツールの効果的な使い方。

*研修裏話の使い方

*理論そのほか、についての裏付をきちんととり、また聞きですまさない、プロとしての意識。

まだまだあるような気がするのだけど。

知っていたけど、「やったり、やらなかったり」していたことの効果を
あらためて感じたり、自分の意識に変化があったり、経験から気がついていたことがやはりこれでいいのだという確信につながることもあった。

これらを自分というフィルターを通し、咀嚼して自分のものにして、
提供していく。

楽しみだ。

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2005.09.14

人間関係ファシリテーション

東京へ、自分の学習のために行きました。「人間関係ファシリテーション」を
学ぶためです。
学ぶにはこちらの本をお薦めします。

人間関係トレーニング―私を育てる教育への人間学的アプローチ

これまでも年に数回、「ファシリテーション」を学ぶ機会を持っていました。
理由は、自分が行なう「コーチング」の研修に活かすためです。

私の行なう研修は、ワークショップ形式といって、講師が一方的に講義をして
教えるのではなく、参加者同志でワークを行う、参加、体験型のものです。
その運営に「ファシリテーション」というスキルは欠かせないものです。
ファシリテーションは、グループの学びを促進するように、よりよく関わる、
よりよい場を提供するための概念です。

ファシリテーションに出会って4年になりますが、昨年あたりから、
ファシリテーションの中でも「人間関係ファシリテーション」を
私も、伝えていくような活動をしてみたいと思うようになりました。
これまでは、自分のワークショップ運営に活かすという視点のみでしたが、
コーチングと同じように、人間関係を学ぶ場を提供することに
関心を持つようになりました。

実際に、会議や、グループでの活動で実践することができるようになってきて
自分が楽になり、しかも、その場が良い方向に向かっていくことを
体感しています。

簡単に説明すると、
コーチングは1対1ですが、ファシリテーションはグループです。
人が自分らしく、生きていくために人間関係は欠かせません。
自分らしく、気持ちよく人と関わっていくためのサポートとして
私の中のバリエーションのひとつとして考えています。

まずは、自分のコミュニケーションの傾向を体感すること。
そんな場を提供することからはじめていきたいなぁと思っています。

誰か、呼んでください(^^;)

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2005.08.16

教育現場から(信濃毎日新聞より)

2005年8月15日付信濃毎日新聞より

高校生が放送部のドキュメント制作活動を通じて、戦争について自問自答している様子から、教育について投げかけている。

本当は歴史や世界を学びながら平和や国について考え、それぞれの価値感を獲得する。それが理想だとある社会科の教諭は言う。でも授業では時間が足りず、教科書の項目を駆け足でとおりすぎるだけ。

時間が足りないのももちろんだが、教員自身の理解や体験が足りず、自身もないから、教科書を離れた授業をするのに、腰がひけてしまうそうだ。

ここからは私の考え。
教師だって、何もかも知らなくてはいけないわけじゃない。戦争や平和についての正解なんか誰も持っていない。
その証拠に、いまだに世界では戦争をやっているではないか。
「教えなければならない」と思うから、苦しくなる。逃げたくなる。
知りたいことが出てきたら、先生が教えなくても、生徒が自分で調べればいいことだ。そんななかで先生も共に学ぶことができる。
算数じゃないのだから、1+1=2のように明快にはいかない。

多様な考えがあり、どれが正解ともわからない。
考えてみる。発言してみる。受け入れてみる。
そんなことから見えてくるものは、教科書から学ぶものよりも多い。
戦争や平和を学ぶだけじゃない、もっとたくさんの学びもある。

教師だって、一個人として、一緒に考えてみる。そういう場をもうけたらどうだろう?正解や、合意をとらなくてもいいじゃないか。

教師の仕事は、教科書を教えることではなく、教科書に書いてあること、ないことを自分なりにどうとらえ、考えるか、そういう基本になるものを作っていくことじゃないのだろうか。
人間としてのベースになるもの・・・それがしっかり構築されていれば、あとは、おのずと勉強したり、情報を処理したりしていくもののような気がする。

自分の考えを安心して言える場。評価されずに、ただ、多様な考えを乗せられる場所。そういう場作りができるように、教育制度が変わっていくといいと思う。
情報を吸収し処理していくのは大学。
義務教育、高校では、誰もが安心して考えを話せる場をつくり、個人の考える力をつけられるような・・・
そしてその上で、相手を否定するのではなく、いろんな考えを展開、聴き合うことで、深みが増すように思う。

ファシリテーション・・・教育現場にいる人たちに、知って欲しい概念である。

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2005.08.02

偏愛マップワークショップを行ないました

異業種交流会の、プレ交流会というか勉強会のネタに、偏愛マップを紹介。

最初に参加者の期待をヒアリング。
コーチングの「モチベーションアップ」というところに興味があるということなので、そちらに関連しそうなコーチングネタをひとつ情報提供。
それから偏愛マップに入りました。

偏愛マップです。偏愛!かたよった愛の地図を書くわけです。
こだわりを書き込みます。
私のこだわりは「極意の生粉蕎麦」「ジャイアントカプリコ」「SRX-4」なんてものからいろいろ書きました。
あとで、フリーページに私のマップをアップしようかな。

ほんの15分ほどの間に、みなさん結構たくさん書き込んで、素敵なマップができました。 その後、ペアになって、お互いを知る時間を5分取りました。そして相手を変えてもう一度交流・・・・
「以前にも会った人でも知らない一面を見ることが出来た。」「初めての人なのに、スムーズに話がはずんだ」などの感想がありました。
これをネタに宴会部門でも盛り上がるところも。

この勉強会では、「コーチング」に限らず、人と関わる上で役に立つ「コミュニケーション」のツールや情報を提供したり、自分の生き方や職業人生における、自分が自分らしく動ける考え方などを情報提供やワークを交えて提供します。

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2005.06.15

リーダーの役割

信濃町の森の癒しのプログラムを実質的に担当する、メディカルトレーナーの会「ひとときの会」がある。

「人」と「木」の会。ロゴは「休」を使っている。
なんて素敵な名前だろう。

ひとときの会は自主運営会。トレーナーの資質向上を考えたり、練習をしたり、町民に知ってもらうために町民向けプログラムを企画したりしている。

なかには、自然観察のプロ、山のガイド、野外教育のプロ、山野草に詳しい人、漢方や薬草に詳しい人、アロマテラピーに詳しい人、地元の暮らしに詳しい人、カウンセラー、カイロプラクティクの専門家、宿業、地元の料理を研究している人、お花に詳しい人、ヨガをやっている人、看護婦さん、林業に携わる森の専門家、コミュニケーションゲームに詳しい人、ネイチャーゲームや環境教育系の人、元学校の先生、スキーなどのインストラクター、コーチ、もういろんな人がいる。

私はひとときの会のいくつかある自主勉強会グループのひとつのリーダーをまかされた。
以前はリーダーは仕切り役、自分が頑張らないと、ひっぱっていかないと前に進まないと思ってた。
だから、たぶん今までだったら勉強会の中身まで構成まで心配していたと思う。
でも、最近はリーダーになってもちょっと気楽に考えられる。

昨日は会の初めての集まりだった。町民向けイベントの担当グループになったので、その下見。
私は当日までの連絡係。参加者の確認をする。当日遅れている人に連絡してみる。
さぁ、スタートしましょう。何から始めましょうか?
まずは自己紹介?みんな顔と名前一致してますか?お客様と初顔合わせだったらどんなスタートがいいかしら?
アイデアを募りながら、体験を伺いながら・・
そんなところから、みんなの様子を伺っていく。作っていく。

私はみんなの様子に目を配りながら見守る。
「こうしよう。ああしよう。」が出てきたら、どうですかぁ?それでいいですかぁ?ほかにアイデアはありませんかぁ?
「いちいち全部相談してたら時間がもったいないから、ここからコース選択部分は詳しいこのお二人に任せましょう。」いいですねー。みなさんもそれでいいですかぁ?

黙って参加していない人がいたら、「どうしましたかぁ?」「どんな理由かお聞かせ願えませんかぁ?」

「これやりたいんですけど」いいですねぇ、どこでやりますか?どこまで考えたら当日やりやすそうですか?

会のリーダーが「リーダー役」を無理してしなくても、メンバーは動いていく。
いつの間にかふさわしい人が実質リーダーとなり、私はそのサポートに回る。
個人個人の得意な分野で情報提供がされる。

最後に私がしたのは時間管理と、決定事項を明らかにして、担当を決めるところだけ。
あとは議事録のような報告書のような・・・を作成して、欠席者と参加者に送った。

リーダーが頑張りすぎないほうが、うまくいくんだなぁと思った。いいバランスだった気がする。
それともみんながリーダーが頼りないから頑張ってくれたのかもネ。

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2005.06.14

会議の実情?

非営利目的の有志による活動の中での会議。年齢も、地位も、その会での経験も知識もみんなバラバラの有志の集り。

個人個人が自分の興味のあることについて思いついたことを発言し、質問していく。どんどん、どんどん、話が広がっていく。
今、何の話をしてるの?
何を決めようとしてるの?何を話のテーブルにのせてるの?
よくわからないまま、個人個人が思いつくことを、言いたいことを言っている。
そして毎回何も決まらないまま、次回へ。
そして次回、また同じことがぐるぐる回っている・・・進展しない・・・

あるときは経営者の集り、あるときは町の集り。

経営者でも、主婦や自営業でも、会議のプロセスは同じという状況を目の前にして目が白黒。

経営者の集まりでは、さすがにみなさんお忙しいので、何も決まらなくても時間になればおしまい。
なんとなく声の大きな人や、リーダーが自分の言葉でまとめて、合意形成もなく、なんとなく方向性を示して結論付けて次へ。

町の集まりでは、だらだらと時間だけが過ぎていく。
私は経験したことはないけれど、夜7時に集って翌日になるまで、会議なんてこともあるそうだ(^^;

集りに参加して日が浅いが、勇気をふりしぼって言ってみた。
「あのぉ、今何の話しているんですか?」「今やろうとしていることの目的はなんですか?」

ある経営者の集まりでは、強制参加ではなく、自主参加なのだから、発言したい人だけが発言すればいい、合意形成?そんなもの関係ない・・。
話についてこれないものは、それだけの興味なのだから参加しなくてもいい。
・・・・そうなのかな?
「今話してることの目的は?」
「今ざっくばらんに話すところから、自由に思い付きを話すことからいいアイデアや思いもしなかったことがでてくるかもしれないだろう?そんないちいち合意形成して、この話をしましょうなんてやってたらアイデアでてこないよ」
自主参加の会議だからそうしてるというのですか?本当に?

町の会議では・・・
「今何の話してるんですか?」という問いに誰もわからなかった・・・
「今日の会議の目的は?」・・・・・ようやくスタート地点に立った。


別の集まりでの会議。
リーダーの声がけで、どんどん、いろんなことが決まっていく。でも、なにか取り残されているかんじ。
メンバーの温度差。どうして、それが決まったのか、よくわからない。
わかってないのは私だけ?他の皆さんはどう思っているんですか?
問いかけても自主的に話してくれないのは、ここは安全な場じゃないっていうことだなぁ。

話し手の目を見て聴いていると、それがいつのまにか私に対して話しかけるようになっている。周りを見回すと、目をあわさないようにしている人もいる。
目が合うと、役目が指名されるんだ。だから目を合わせないようにしてるんだ。なるほど・・・

理屈で指摘しても、伝わらない。やっぱりプロセス(自分の中で起こっていること)を出していくことが、キーを握るとかんじた。
たとえ会議であっても。

「指名されて、戸惑っている。役割を決める前に、何をするのかを話しあってからでないと納得して引き受けられる感じがしない」「私にはここがよくわからない。みなさんはどう理解されているんですか?納得しているんですか?」

結局何も決まらなかったけど、振り出しに戻って、みんなが同じテーブルに乗れたような気がする。それぞれが思っていることを言う場が生まれた。

嬉しかったのは、リーダーが「兼重がここにこだわってくれたから・・・」とねぎらってくれたことだ。
目指していることはみんな同じ。試行錯誤しながら一緒に活動している仲間なんだと、リーダーが同じ目線に立ってくれていると感じた。勇気を出して伝えてよかった。

私のできること、役割はやはり、ファシリテーターでありコーチ。
課題達成したいのはヤマヤマだし、性分的にもそうしたいけど、そのためにもプロセスを大事にしないと成功しないと思う。第一、私がその課題達成に向けて納得してなきゃ、ベストをつくせない。

参加者としてのファシリテーション、磨いていこう。

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2005.05.18

ファシリテーショングラフィック

ノートをとるのがニガテだ。
学生の頃からそうだった。
最近はセミナーなどに行くと、カラフルなペンを持って、ノートにわかりやすく整理していく人々を横目に、
私はルーズリーフに鉛筆でかきなぐっていく。あとで読み返してもなんのことやらさっぱり?

学生の頃は、ノートをとるのは、教科書に載っていないことだけ。それで、事足りた。

今は・・・・うーん。足りない!!たぶん、頭も悪くなったし、テストのための勉強じゃないものね。


で、ファシリテーションに興味を持ち始めてから出会ったファシリテーショングラフィック。
(ファシリテーショングラフィックについては志賀さんのサイトこちらを見てね。)
会議を活性化するためのツールである。
模造紙にカラフルなプロッキー使って、アイデアをイラストも交えながら描いていく。文字だけじゃなく、雰囲気も伝わるように。

このファシリテーショングラフィックの練習も兼ねて、セミナーとか、会議の内容とか、ひとりでノートとったらどうかしらん?と思っているのだが、なにせイラストちっくなものが描けない^^;
どこに何を配置してよいものやら、そういうセンスもない・・・やってみては途中でくじけることのくりかえし。
で、マインドマップで、ノートとる・・・ってのもやってみようか・・・・と以前はじめてみたけど続かず。

でも、ふと、今日おもいたってやってみたら、少しは描けたんだよねぇ。やっぱ、数こなさなきゃだめでしょ。
ちょっと進歩。(^_^)ヾ(^^ )ヨシヨシ自分。グラフィックできなくてもマインドマップ+記号を使うくらいでも十分機能しそうだ。

さて、ファシリテーショングラフィックは、単なる板書じゃない。
グラフィカ(記録係)もファシリテーターとして、発言を確認したり、流れを確認したりしながら描いていく。
実際、会議でファシリテーショングラフィックに、チャレンジしてみて、ファシリテーターと兼ねていないと、話があちこち飛んでしまって、描けないし、発言も違ってしまう。
メインファシリテーターと、グラフィカ兼サブファシリテーターがいるのがよさそう。
そしてメンバーの同意や対立、感情や盛り上がり度なんかも、記録すると、それを見ながら、よりリアルに、振り返りが出来て、活性化することを、先日参加した会議ファシリテーションセミナーで確認した。

グラフィックやマインドマップ的な記録の取り方の良いところは、それを見ただけで、そのときの様子が思い出されること。言葉のやりとりなどの内容だけの記録よりも、鮮明にイメージが戻ってくることを、私は経験した。

ということはノートも、同じようなつけ方をすればいいんだ。セミナーでの講師の話や誰かの発言に、自分や周囲がどんな反応をしたのか、私自身にどんなインパクトがあったのか、そんなことも記録しておくと、効果的に思い出せるんじゃないかしら?うむ。やってみよっと。

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2005.05.17

目的意識

ファシリテーションの勉強のために、山梨の江草にあるエジュケーションラボラトリーに行っている。
思い起こせば、スキルコースに3回、理論編はポツポツと日程が合えば・・・という形で、たぶん今回で全日程参加したはずだ。かれこれ3年くらい通っていることになる。

ファシリテーションに興味を持ったのは、自分がコーチングのワークショップをする上で、必要なスキルだと思ったからだ。
だから、ずっと参加の目的は、いかに自分のワークショップを効果的に回すために、応用するかという視点で参加していたと思う。そんなこともあって、一緒に学ぶメンバーが「ファシリテーターになります」と宣言していることが、いったいどういう意味があるのか、ぴんときていなかったし、他人事のように思っていた。

ところが、最近、自分の中にちょっとした事件がおきた。

ある勉強会に参加したとき、とても居心地の悪い想いをしたのだ。
まさに今まで勉強した人間関係ファシリテーションを活用すべき場だった。
学んだことを思い出しながら、メンバーとして関わっていったけど、思うようにはいかなかった。

私は、「ファシリテーター」としての視点で勉強をしてきていたので、とっさに、「メンバーとしてファシリテートする」という視点からの行動が身についていなかったように感じる。
あとで振り返ってみると、ああすればよかった、こういえばよかったといろいろでてくるのだけど・・・

私はとても大切なことを学んでいたのに、学んだことを整理する引き出しが、「ファシリテーター」の立場の整理のしかただったので、「メンバーとしてファシリテートする」ということがすぐに出てこなかったのだ。
しかも、他のメンバーは「ファシリテーション」を知らない。
私が属しているコミュニティや、学びの場では、自分の感じていることを伝えれば、そこから展開させてくれる・・ファシリテートしてくれる人たちが日常的にいたので、それがあたりまえだと思っていたようだ。

そんなことを思ったら、「人間関係のファシリテーション」ってあらためて大切だと思った。
多くの人に知ってもらう必要があると思った。前からそう思っていたのに、当事者として、想いを強くした。

「私がファシリテーションを伝えていく立場になる」ことを念頭に、久しぶりに理論編に参加してみると、なんだか新鮮に見えてくる。今までは理論なんかどうでもいいや、「ファシリテーターとしてファシリテートできる」ようになれば・・みたいなスタンスで受講していたんだなと自分を理解する。
目的が変わると同じことを勉強しても、入ってくる情報も、意識も変わるんだということをあらためて認識した。

あらためて勉強しなおす必要性を感じるとともに、アウトプットすることで自分の身に落とし込む必要性も感じている。

今、私は、コーチだけでなく、人間関係のファシリテーターとしても活動していこうと思う。

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